ライアーとの出会い
私が鬼塚聖貴先生のライアーと初めて出会ったのは2015年5月のこと。
ある失意のどん底から立ち直ろうとしている最中でした。
実はそれ以前から、感覚的に弾ける弦楽器を探していました。
ギターとは違う弦楽器で、楽に持ち運びができて、弾きながら歌ったりしたいと。
まさに願っていた通りの楽器と出会ったのが、オニヅカライアーだったのです。
しかも完成品を購入するのではなく、自分でつくるというスペシャルなライアーです。
私が初めてライアーを作るワークに参加した場所は沖縄でした。
見つけたら矢も盾もたまらず、すぐに沖縄行きのエアチケットを取りました。
でもそのわりに1台目の出来は不本意そのものでした。
絶対にリベンジしたい!
2台目には、満足できるようなもっと精度の高い楽器を作るんだ!と決意したのです。
その時から1年半後に鬼塚先生を栃木にお呼びして、自らワークショップをオーガナイズすることになりました。
その後は毎年オーガナイズを続けて、私自身これまで8台のライアーを製作し今に至ります。
作ることと弾くこと
ライアーを作ることは、毎回とても楽しいです。木を彫る瞑想のようです。
次第に(というか割と初期から)「こういう形にしたい」という意図を持たずに木を彫っています。自分の意図ではなく、木の言うことを聞き、それに従います。
ライアーを作るたびに、木に委ねることを学びます。立派な物をつくりたいという意図を(つまりはエゴを)手放す方に向かって行く自分がいます。
作るたびに感じるのですが、自分のエゴを手放した先には予想を超えた結果が待っています。
一方で、完成したライアーを演奏するという楽しみがあります。
私は元々ギターの弾き語りなどをしているのですが、ライアーを弾く楽しさはまた別物なのです。
鬼塚先生のライアーにはどう弾いても間違いというものがない、自由な楽器だからかもしれません。
新たなライアーを作るたびに私の楽しさは増していき、人前で演奏する機会も増えていきました。
音楽活動が変わってきた
現在、私がしているライアーの弾き方は大きく分けて2種類です。
①弾きながら楽曲を歌う(歌うための伴奏として弾く)
②即興演奏をする
でもこの②の方が、様々な目的に分かれています。
②−1 クライアントに対するライアーヒーリング
②−2 神社や森や湖などでの演奏(奉納、または場所へのヒーリング)
②−3 パフォーマンスとしての即興演奏
特に昨年2021年は、3番目の「パフォーマンスとしての即興演奏」に飛躍的な変化が起きました。
一つは「宇宙倍音オーケストラ」の結成です。モノリナ、クリスタルボウル、コシチャイム、そしてライアーの編成で、今年夏に6人で結成しました。
もうすでに3度の公演を行っていますが、多くの皆さんから癒されるとご好評を得ています。数々の倍音楽器の音色が重なるとまさに「宇宙の音」だと感じます。
そしてもう一つはライアーの生音だけでなく、エフェクターを駆使したパフォーマンスです。
元々バンド活動をしていたこともあり、ギターなどに使用するエフェクターには馴染みがありました。それによって音のバリエーションや表現できることが飛躍的に広がったのです。
2021年11月にはアートイベントで、ダンサーの方と一緒に即興のパフォーマンスを披露しました。この経験によって、私にとって「即興」の世界は格段に広がりました。
ライアーの持つ表現の可能性は、想像以上に大きいものになりました。
これからのこと
ライアーを何台も作り、演奏し続けて今に至りますが、思うことがあります。
前述の②の即興演奏で特に感じることなのですが「周波数の時代」が来ていると。
ライアーを作る人の多くが、既存の曲を演奏するためではなく、自分自身への癒しとして奏でたいと思って制作のワークに参加してくれます。
感覚的に音の必要性を感じている人がそれだけ多いのだと思います。しかも、正しい演奏や立派な演奏ではなく、自分が必要としている音を、もっと言えば「周波数」を自分に与えたいのです。
それは、一人一人が正しいとか立派であるという、ジャッジを手放して生きることに繋がっているように思うのです。自由な楽器ライアーを手にした人たちが、より自分自身を自由にしていったら、少しずつでもこの世界が変わることでしょう。
より自由な周波数が世界中に溢れていきますように、そんなことを願っています。
森や湖やひと気のない静かな神社などで、ライアーを演奏していると、度々小鳥が囀り始めます。それは間違いなく、小鳥が意図して鳴いているのです。
ライアーの音に(周波数に)反応して、声で答えてくれます。小鳥とセッションしているような時間を何度となく過ごし、自然界はこんなに自由で遊び心に溢れているのだと感じます。
森に行くと、よく大きな木の下で弾きます。
ライアーは元々楽器である前に、ひとつの「木」なのです。ライアーにできるくらい大きく育つまでに長い年月がかかっているはずです。木が切られ製材されて、ライアーの材料として私の手元にやってきた・・・大きな木の下で演奏すると、そんな運命を感じます。
そして奏でられる音を、森の木々たちにも聴いてもらうと、ライアーも森の木々も元気になるような気がします。
私はこれからもライアーの演奏を通じて、自然界への小さな恩返しができたらいいなと思っています。
「ライアーが私の人生にもたらしたもの」という、壮大なタイトルをつけてしまいました。これを読んでくださる方に何かが伝わればいいなと思います。