長かった梅雨が明けた8月上旬、京都を旅してきた。わずか三日間だけだが、毎日それぞれに違うテーマがあり、実り多い三日間となった。
私はこの旅で、とても大切なものにはっきりと繋がった気がしている。長くなりそうだが、そのことについて書いて行きたいと思う。
新幹線で京都へ
一日目(8月7日)
早朝から新幹線で京都へ向かった。
今回の旅、第一の目的は8月8日ライオンズゲートが最大になる日、京都の大原で開かれるワンデーリトリートセミナーに参加することだった。なので前日には京都入りしておく必要がある。
そしてコロナ禍によって京都がすごく空いている、という情報を得ていたので、この機会に落ち着いて寺社仏閣に参拝できるのもありがたかった。
午前中には京都に着いていた。京都駅の目の前のホテルを取っておいたので、荷物を早々に預けて出かけた。
最初の目的地は清水寺だ。しかしそれにしても猛暑だ。盆地である京都の夏は暑いとは聞いていたが、この暑さはかなり堪える。
清水寺に最も近いバス停で降りて、そこからは緩やかだがずっと上り坂が続く。道の両側には魅力的な店が多いが、一度足を止めたら挫けそうな気がして、心を鬼にして寄り道せず坂を登る。
清水寺に向かう
やっと清水寺の真っ赤な山門が見えてきた。本当に人が少ない。少し待てば、人が誰も映り込まない状態で風景写真が撮れるくらいだ。
清水の舞台と評される通り、山の斜面を利用して建物が建っている。
山門をくぐってからもまだ登りが続き、かなり山の上の方に本堂がある。
風がよく通る回廊には無数の風鈴が吊り下げられ、涼やかな音を盛大に立てているが、それに負けないほどセミの声も大きい。
本堂と、そこに祀られている仏像と室内装飾の素晴らしい荘厳さ。引き寄せられるように御本尊に手を合わせて祈り、いつの間にか暑さも忘れていた。
セミの声に後押しされるように、奥の院がある方へと進んでいった。
私が今回清水寺を選んだ理由の一つが、ここにある。
奥の院の建物付近にひっそりとある場所にお参りしたくて、清水寺を選んだのだった。
申し訳ないが、プライベートな情報なのであえて詳細は伏せておく。実際に奥の院まで行けば、どこのことかはわかるかもしれないが。
奥の院での不思議な体験
私がそこへ近づいていくと、見たことのない二羽の鳥が飛んできて、二羽同時に石の柵の上に留まった。鳩よりはよりは少し小さく、雀よりは大きい。
光の当たり方で羽が時折青く光る。二羽の鳥たちはまるで眷属神のようで、その場所を守っているように見えた。
かなり長い時間、私はそこ場所で手を合わせてお参りしてしていたが、鳥はずっとその付近に居て逃げず、私を見守ってくれているかのようだった。
神社や寺院にお参りすると、時々このようなことがある。
何らかの生き物が現れて、かなり長いことその場に留まっていてくれる。鳥や珍しい蝶、蜥蜴(実は三日目の鞍馬寺では蜥蜴がそうだった)や、たまに蛇も。
その後、境内にある御茶屋さんでわらび餅を頂いて休憩し、清水寺を後にした。帰り道「茶わん坂」の途中にあるお蕎麦屋さんで鰊蕎麦の昼食を摂った。
力を振り絞って伏見稲荷大社へ
ホテルの部屋にチェックインしたら疲れがどっと押し寄せてきた。気がついたらしばらく眠っていたようだ。
目を覚まし、もうあの暑さの中を歩く気力がない、そんなふうに思ったけれど、ふと地図を見たら伏見稲荷大社までが意外に便利なことに気づく。
ホテルの目の前は京都駅なので、JR奈良線で二駅行けばもう稲荷大社である。せっかく来たのだし、こんなに空いているチャンスはもうないかもしれない。力を振り絞って電車で向かった。
時刻が夕方に近づいていたせいもあるが、伏見稲荷大社も驚くほど人が少なかった。
有名な千本鳥居の中を30秒ほど歩いて動画を撮ったが、誰も写っていない。聞こえるのは蝉時雨。
何と贅沢な参拝だろう。陽は西に傾き、次第に昼間の暑さも和らいでいった。
伏見稲荷大社は、JR奈良線の駅の目の前にある。もうホームからでも最初の鳥居が見えるほどなのだ。
帰りの電車は仕事帰りの人や通学の学生さんなど、この駅からたくさんの人が乗っていた。
こんなにメジャーな観光スポットでありながら、この街で暮らす人々にとっては、伏見稲荷は当たり前のように生活に溶け込んでいるのだ。
改めて京都という土地の奥深さや、味わい深さを感じたひとコマだった。